グヌンカウイについて
グヌンカウイは普通のツアーには組み込まれない場合が多いようです。 ここに行くには長い坂道を延々と下って行かなければならないからです。 行きは良い良い帰りは怖いってことで、長いキツイ坂道を登るのは少し(かなり)厳しいからのようです。 同じ会場で昼間はバロンダンスなどを演って、夕方からケチャを演っていることが多いだ。(クシマン村の会場もそうだ) ウブドのパダン・トゥガル集会場という所でトレナ・ジェンガラというグループが(毎日開催ではありません要確認)ケチャ+ファイヤーダンスを演っています。(有名なグループだ) ファイヤーダンスはヤシの実に火をつけて(床一面に)その中を裸足のオジさん?が走り回るというものだが...結構楽しめますよ。 道路沿いに会場があることからFXの爆音が多少気になりますが、野外で雰囲気もいいのでウブドのケチャもイイだよ。 ウルワトゥも野外でサンセットを見ながらの公演だ。なかなか雰囲気もいいだね。ケチャ+ファイヤーダンスだ。 屋根なしだが雨が少ないエリアなのでそれほど心配しなくても大丈夫でしょう。ただしサルには要注意だね。 昔はデンパサールのアート・センターも屋根のない野外で雰囲気良かったのだが(初めて行った時は怪しげな感じに少しビビりました)雨が降ると中止になったしね。観光客メインだから屋根つけてFX 取引でもOKにしたんでしょうね。 機会があればウブドでもケチャを観て下さい。...祭りだ雨だだぐFXになっちゃうから覚悟?して行って下さい。ハハハ... ケチャの何が良いのか、まったく書けていなくて申し訳ないだが、こればかりは一度見てもらわないことには始まりません...と言うか、見てもらったらわかっていただけると思います。 また、話の筋は同じでも、演じるグループによって表現の仕方?が「こんなに違うものなの?」と言うくらい変わってきますので、できるなら違うグループのケチャを見てみることをおススメします。 マジャパヒト王国(マジャパヒトおうこく、KerajaanMajapahit)は13世紀末から16世紀始め頃までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国。最盛期にはインドネシア諸島全域とマレー半島まで勢力下に置いたと現代のインドネシア共和国のナショナリズム歴史教育下ではなっているが、これは神話などを基にした誇張に過ぎず、実際には中東ジャワ支配したにすぎないのが世界歴史学の定説である。なお、表記に「マジャパイト」と書くこともある。綴りは"Majapahit"であるが、ジャワ語では、h音を発音しないからである。 1293年元王朝は朝貢を拒否したジャワのシンガサリ王国に遠征軍を派遣したが、シンガサリ王クルタナガラはクディリ王家の末裔と呼ばれる当地の領主ジャヤカトワンの反乱によって殺されていた。クルタナガラ王の娘婿であったウィジャヤはジャワ北岸のトゥバンに上陸した元軍と同盟して、ジャヤカトワンが乗っ取ったシンガサリ王国を滅ぼし、さらに元軍をジャワから追い出してマジャパヒト王国を建国した。ウィジャヤの即位名をクルタラジャサ=ジャヤワルダナという。王国の都はジャワ島東部プランタス川流域のマジャパヒトに置かれた。 マジャパヒトと元朝の関係は当然悪化したが、フビライ汗が死去すると大きく好転し、1295年から1332年の間に10回の朝貢が行われた。 1328年にジャヤナガラが死去すると後継男子がいなかったので、故クルタナガラ王の末娘ラージャパトニに後を継がせたが、ラージャパトニは熱心な仏教徒で出家していたので、娘のトリブワナーを摂政として政務を取らせた。(インドネシアの歴史教科書『インドネシア国史』(SejarahNasionalIndonesia)では、トリブワナが王位に登ったとする。)この頃、親衛隊長から宰相に抜擢されたガジャ・マダがマジャパヒト王国を最盛期に導くことになる。1350年ラージャパトニが死去するとトリブワナーの息子ハヤム・ウルクがラージャサナガラとして即位した。 最盛期 宰相ガジャ・マダは1342年にバリ島に侵攻したのを皮切りに、インドネシア各地に対する遠征を行い、スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を滅ぼして南海の海上交易ルートを掌中に収めた。 最盛期の支配領域はマレー半島のパタニやトゥマシク(シンガポール)、カリマンタン島に及び、東西交通の要衝であるマラッカ海峡とスンダ海峡を制圧した。またタイのアユタヤ王朝やカンボジア、ベトナムとも友好関係を持った。